目指せ!かるた王
第38回加賀郷土かるた取り大会
第38回加賀郷土かるた取り大会中止のお知らせ
加賀郷土かるた 読み札一覧
No. | 読み札 | |||||
1 | 山代(ヤマシロ)は 出湯(イデユ)に焼物(ヤキモノ) 明覚碑(ミョウカクヒ) | |||||
2 | つぎつぎに 横穴(ヨコアナ)ならぶ 法皇山(ホウオウザン) | |||||
3 | ロシアとの 危機(キキ)を救(スク)った 北ヶ市(キタガイチ) | |||||
4 | 黒瀬(クロセ)には 布目瓦(ヌノメガワラ)の 窯(カマ)のあと | |||||
5 | 二子塚(フタゴヅカ) きれいな前方(ゼンポウ) 後円墳(コウエンフン) | |||||
6 | 長二郎(チョウジロウ)の 帆影(ホカゲ)はむなし 尼御前(アマゴゼン) | |||||
7 | 手も切れる 深田(フカダ)の水は 鏡(カガミ)の池 | |||||
8 | わかめ舟 磯(イソ)の香りも 加佐岬(カサミサキ) | |||||
9 | 北前(キタマエ)の 行くては大阪 北海道 | |||||
10 | 類(ルイ)のない 加賀絹(カガキヌ)のもと 庄(ショウ)の町 | |||||
11 | 八日市(ヨウカイチ) 都(ミヤコ)もどりの 地蔵(ジゾウ)さん | |||||
12 | 猫橋(ネコバシ)の 遺跡(イセキ)に残る 弥生土器(ヤヨイドキ) | |||||
13 | みの虫の 理与門(リヨモン)の墓(ハカ) 分校町(ブンギョウマチ) | |||||
14 | 日は暮(ク)れて ふめば危(アヤウ)き いぶりはし | |||||
15 | 一向宗(イッコウシュウ) 頭(カシラ)は山田の 光闡坊(コウゼンボウ) | |||||
16 | 菅波(スガナミ)の 天日茶屋(テンニチチャヤ)の 小豆(アズキ)もち | |||||
17 | 弓波(ユミナミ)の 廃寺(ハイジ)は古い 白鳳期(ハクホウキ) | |||||
18 | 小四郎(コシロウ)の 筆(フデ)あと今に 小塩辻(オシオツジ) | |||||
19 | 松風(マツカゼ)や 実盛塚(サネモリヅカ)の 蝉時雨(セミシグレ) | |||||
20 | 絵(ゑ)のような 湖面(コメン)に白山(ハクサン) 片山津(カタヤマヅ) | |||||
21 | 宇吉郎(ウキチロウ) 世界(セカイ)のトップ 雪博士(ユキハカセ) | |||||
22 | 突然(トツゼン)の 変異(ヘンイ)は篠原(シノハラ) 金明竹(キンメイチク) | |||||
23 | 珍(メズラ)しい 管玉工房(クダタマコウボウ) 玉作(タマヅク)り | |||||
24 | かん山(ザン)の 鏡(カガミ)は後漢(ゴカン)の 舶載鏡(ハクサイキョウ) | |||||
25 | 渓流(ケイリュウ)に 優美(ユウビ)な姿(スガタ) 鶴ケ滝(ツルガダキ) | |||||
26 | 信連(ノブツラ)や 芭蕉(バショウ)もほめた 山中湯(ヤマナカユ) | |||||
27 | 大杉(オオスギ)が 見守(ミマモ)る加賀の 二千年 | |||||
28 | 森と川 四季(シキ)が織(オ)り成(ナ)す こおろぎ橋 | |||||
29 | 染付(ソメツケ)に 九谷赤絵(クタニアカエ)の 伝統美(デントウビ) | |||||
30 | 僻地(ヘキチ)でも ろくろの始め 口真砂(クチマナゴ) | |||||
31 | 宝永(ホウエイ)の たくみの業(ワザ)の 長流亭(チョウリュウテイ) | |||||
32 | 関(セキ)が原(ハラ) 一足(ヒトアシ)さきに 玄蕃(ゲンバ)散(チ)る | |||||
33 | 渚(ナギサ)の散歩(サンポ) 長者屋敷(チョウジャヤシキ)を 一めぐり | |||||
34 | 歴代(レキダイ)の 藩主(ハンシュ)の墓(ハカ)は 実性院(ジッショウイン) | |||||
35 | 日本の 儒学(ジュガク)の大家(タイカ) 錦城(キンジョウ)さん | |||||
36 | あたたかい 太古(タイコ)の自然 鹿島(カシマ)の森 | |||||
37 | ぬかづくや 五百羅漢(ゴヒャクラカン)と 芭蕉(バショウ)の寺 | |||||
38 | 竜骨車(リュウコツシャ) はじめて試(タメ)す 三木(ミキ)の里(サト) | |||||
39 | 無理(ムリ)をして 十万石(ジュウマンゴク)の 高直(タカナオ)し | |||||
40 | 江戸(エド)に出て ハリスの脈(ミャク)とる 玄同(ゲンドウ)さん | |||||
41 | 竹を割(ワ)り 大蛇退治(オロチタイジ)の 菅生(スゴウ)の宮(ミヤ) | |||||
42 | 白山(ハクサン)の 五院(ゴイン)の一つ 大聖寺(ダイショウジ) | |||||
43 | 蘭学(ランガク)を 長崎(ナガサキ)に学ぶ 卯三郎(ウサブロウ) | |||||
44 | しゃしゃむしゃの 仏(ホトケ)の踊(オド)り 塩屋浜(シオヤハマ) | |||||
45 | 井斉(ゐサイ)らと 小塚(コヅカ)の植えた 防風林(ボウフウリン) | |||||
46 | 京都への 近道つくる 湖上汽船(コジョウキセン) | |||||
47 | 竹槍(タケヤリ)で せまるは正徳(ショウトク) 大一揆(ダイイッキ) | |||||
48 | 坂網(サカアミ)の 手なれたさばき かもの池 |
参考情報
※読み札の一部の情報のみを参考資料として載せています。
※記載情報は正確性を期しておりますが、歴史については諸説あるものもございます。参考情報としてご覧下さい。
かるたNo.1「山代は 出湯に焼物 明覚碑」
山代にある薬王院温泉寺の初代住職、明覚を供養する国指定重要文化財。悉曇学(しったんがく)の研究でも有名な明覚は、日本の50音図配列(あいうえお)を考えた人とされています。
関係URL https://www.hot-ishikawa.jp/ (公益社団法人石川県観光連盟ほっと石川旅ネットHPより)トップページ⇒加賀エリアスポット一覧⇒薬王院温泉寺のページへ
かるたNo.2「つぎつぎに 横穴ならぶ 法皇山」
勅使町にある法皇山。北陸地方の最大級の横穴古墳として知られているが、その洞窟の数は確認されているだけで77個以上あり、平安時代の花山天皇(かざんてんのう)のお墓としてたくさんの土器が発見されています。
関係URL http://tabimati.net/midokoro/detail_kanko.php?p=1217 (加賀市観光情報センターKAGA旅・まちネットHP より)
かるたNo.7 「手も切れる 深田の水は 鏡の池」
加賀市深田町にある「鏡の池」には、篠原古戦場で命を落とした斎藤実盛が白髪を染めるために使ったとされる古鏡がおさめられています。
年に一度、秋祭りの前に池洗いが行われ、この時に古鏡を見ることが出来ます。
関係URL http://tabimati.blog79.fc2.com/blog-entry-542.html (加賀市観光情報センターKAGA旅・まちネットHP より)
かるたNo.9 「北前の 行くては大阪 北海道」
江戸時代から明治時代まで、大阪と北海道を結ぶ日本海側の海を往復して荷物を運んでいた北前船。
当時は船の技術も天気予報も今より発達しておらず、嵐に合えば命を落としてしまう人もいて常に危険と隣り合わせだったようです。
関係URL http://www.city.kaga.ishikawa.jp/kitamae/ (北前船の里資料館HPより)
かるたNo.12 「猫橋の 遺跡に残る 弥生土器」
加賀市八日市町と合河町にまたがる地域から1955年に発見された遺跡を「猫橋遺跡」といい、1800年前の”しゃもじ”、”くわ”、などが発見されていて稲作の始まりを知るための貴重な遺跡として全国的に知られています。
関係URL https://enumatihousi2.jimdofree.com/加賀市の歴史/古代/ (江沼地方史研究会HPより)
かるたNo.15 「一向宗 頭は山田の 光闡坊」
加賀の一向一揆とは、1488年に加賀の守護大名『富樫政親』が浄土真宗を弾圧したため、約20万人もの浄土真宗の人が立ち上がり起こした一揆のことです。
加賀の一向一揆での勝利をきっかけに、以後100年間にわたって、加賀は浄土真宗門徒が支配する国となりました。
関係URL https://nihonsi-jiten.com/kaga-ikkouikki/ (日本史辞典.comより)
かるたNo.21 「宇吉郎 世界のトップ 雪博士」
1900 年、⽯川県加賀市⽚⼭津⽣まれ。北海道⼤学の教授となり雪の研究をして、⼈⼯雪を作ることに世界で初めて成功した人です。
科学研究のほか、随筆、絵画、科学映画などでも優れた作品をつくり、「雪は天から送られた手紙である」という有名な言葉も残している。
関係URL https://yukinokagakukan.kagashi-ss.com/ukichiro/ (中谷宇吉郎 雪の科学館HPより)
かるたNo.22 「突然の 変異は篠原 金明竹」
加賀市篠原町で古くから珍しい竹として大切にされてきた黄金色の竹。ふしめには交互に緑色の模様があり、篠原のものは国指定天然記念物に指定されています。
関係URL http://www.shinkin.co.jp/tsurugi/huru150/hu15120/hu15120.html (鶴来信用金庫HPより)
かるたNo.25 「渓流に 優美な姿 鶴ケ滝」
鶴ケ滝は、大小5段の滝で、一番奥の最大のものは二つの滝に分かれており、高さ五段合わせて30mほどあると言われています。
しぶきをあげる二つの滝の姿は、鶴の足のようであるとから滝の名前の由来もここからきていると言われています。
関係URL http://tabimati.net/midokoro/detail_kanko.php?p=3987 (加賀市観光情報センターKAGA旅・まちネットHP より)
かるたNo.27 「大杉が 見守る加賀の 二千年」
山中温泉の菅原神社境内にある栢野(かやの)大杉。国の天然記念物にも指定されているが、その木の年齢は約2300年とも言われている。
関係URL http://www.tabimati.net/midokoro/detail_kanko.php?p=3984 (加賀市観光情報センターKAGA旅・まちネットHP より)
かるたNo.37 「ぬかづくや 五百羅漢と 芭蕉の寺」
全昌寺に収められている様々な色の羅漢像500体。江戸時代末期の大聖寺領内における有力な武士や町人を伝える貴重な資料です。
元禄2年(1689)8月、奥の細道の無事の折り、芭蕉と曽良がわらじを脱いで一泊したとされる部屋が復元され、境内には俳句を彫った石も残っています。
関係URL https://www.hot-ishikawa.jp/ (公益社団法人石川県観光連盟ほっと石川旅ネットHPより)トップページ⇒加賀エリアスポット一覧⇒五百羅漢・芭蕉旧跡熊谷山 全昌寺
かるたNo.38 「竜骨車 はじめて試す 三木の里」
低い川の水を、高い土地の田んぼに水を汲み上げる水車の役割をする農機具として、今から350年以上前の大聖寺藩三木町に導入されました。
竜の骨の車と書いて竜骨車と呼ぶ通り、その形が竜の骨格と似ていることから名づけられました。
関係URL https://kotobank.jp/word/竜骨車-149616 ((株)朝日新聞社コトバンクより)
ここに載っていない読み札についても、ご両親や先生方・地域の人に聞きながら是非調べてみて下さい。かるたに書かれている場所に実際に行ってみると、もっと色んなことが発見できるよ!加賀市の魅力発見の旅に、レッツ・ゴー!!